祈りの行方

「何を祈ったんだ?」
 境内に並ぶ露店で買った、”リンゴアメ”というお菓子を片手に、イーグルは満開のサクラを眩しそうに見上げていた。
 彼はジェオの問いに舐めていたリンゴ飴から口を離すと、難しい顔でそれを見つめながら呟く。
「⋯これは先に飴を全て舐めるべきなのか、リンゴごと齧るのが正解なのか、どっちだと思います?」
「好きに食っていいと思うが、齧るなら飴で口ん中切らないように気を付けろよ」
 質問に(全く関係のない)質問で返されたジェオは、しかし異を唱えることもなく律儀に答え、ついでに忠告することも忘れない。飴の破片は意外と凶器なのだ。
「齧ってみます?」
 すい、と差し出された赤く艶やかな菓子に一瞬どうするか考え、大きく口を開けたジェオの歯がガリッと音を立てて飴を砕いた。
「あ、中は白いんですね」
 齧り取られたリンゴの断面を、ほら、と見せながらイーグルが笑う。
 ガリガリと飴を咀嚼しているジェオは、答える代わりに相槌を打つように笑った。
 飴の甘みと爽やかなリンゴの酸味が心地いい。
 さぁっ、と気持ちのいい風が通り抜ける。その拍子に薄紅の花弁がそこらじゅうでひらひらと舞い散る様は幻想的でさえあった。
 今が盛りだというこのサクラは、ニホンの春の風物詩なのだそうだ。
「⋯綺麗ですね」
 花弁が舞い上がった先を見上げれば青空が広がっている。咲き誇る花も晴れた空も、オートザムでは⋯少なくともジェオとイーグルが生まれた時には、既に喪われて久しいものだった。
「ジェオは、何を祈ったんですか」
「お前な⋯まぁいいか。全部がいい感じに丸く収まってくれますようにってな」
「⋯カミサマも困りそうなふんわり具合ですねぇ」
「具体的な所は俺達次第だろ」
 何せ祈る風習を持たない、現実主義の国で育ったのだ。
 くすくすと笑っているイーグルに、そういうお前は何を祈ったんだと再度問えば、悪戯っぽい色を浮かべた琥珀の瞳がジェオを見上げた。
「⋯明日ものんびりジェオのお菓子を食べられますようにって」
「それは神じゃなくて俺に祈ることじゃねぇか?」
「のんびり出来るかは敵の動き次第じゃないですか」
「俺が菓子を作るのは決定事項なのかよ」
「僕あのケーキ好きなんですよね、中にナッツが入ったチョコクリームの」
 自分より頭ひとつ分低いイーグルの後頭部を軽く小突くと、彼は悪びれなく笑いながらしれっとリクエストを口にする。
「へいへい。了解しました、コマンダー」
 大仰に答えれば、イーグルは更に笑った。嬉しそうに。
「あ、凄いですよジェオ。あそこ、サクラが並んでトンネルみたいになってます」
 小さな桜並木になっている所を見つけたイーグルが足早に歩き出す。ジェオはその一歩後ろを歩きながら声を掛けた。
「転ぶなよ」
「幾つだと思ってるんですか、と言い返せないのが悔しいところですね」
 苦笑気味に答えて、降り注ぐように舞う桜の花弁の中をゆっくり歩く。ジェオが齧ったリンゴ飴のリンゴ部分をシャクリと齧りながら、イーグルは光達に聞いたこの世界の神話をふと思い出していた。
 禁断の果実を食べた男と女は神の楽園を追放され、死の運命を背負ったという。
 そしてその禁断の果実とはリンゴのことだと言われている、と。
(⋯僕はもういい。でもジェオは)
 自分は充分彼に幸せをもらった。
 なのにそれを返すには、もう時間が残されていない。
 だから彼に、どうか溢れんばかりの幸せを。
 そう名も知らぬ異国の神に祈っていたことを、イーグル自身の他は誰も知らない。