全ての戦いが終わり、地球からセフィーロへと帰還の途に就いたNSXの中で、イーグルは倒れた。
デボネアとの決戦の中、あの場で戦っていた者達に齎されたセフィーロの人々の祈りの力は、彼に用意された砂時計の勢いを緩めはしてくれたものの、当然ながらその天地を返すことまでは出来なかった。
激しく咳き込み大量の血を吐くイーグルを抱えて、ジェオは医務室へと駆け込んだ。その姿を見た軍医と医療スタッフが慌ただしく動き始め、ジェオは彼等に指示されるまま、抱えていた身体をベッドに横たえるとその場から離れた。
傍にいてやりたいが、それでは彼等の邪魔になる。爪が食い込むほど拳を握り締め、目の前の光景を振り切るように入口へと踵を返した瞬間、自分達の後を追うように医務室へと入ってきたランティスと目が合った。
「―――助けてくれ」
何を考えるでもなく、気付けば反射的にそんな言葉が口を突いていた。紫の瞳が僅かに見開かれる。
彼にそんなことを求めるのは筋違いだ。そんなことは解っている。
もしも今イーグルに意識があったなら、きっと〝もういい〟と言っただろう。彼はずっと―――己に残された時間を知った時から、その覚悟をしてここまで来た。
ジェオだってそうだ。いつか、そう遠くなく〝その時〟が来ると覚悟していた。
していた、つもりだった。
「頼む、イーグルを助けてくれ。何でもする」
ランティスの肩を掴み、項垂れるように顔を伏せて懇願するジェオの足元にぽたぽたと水滴が落ちる。
だって、無理だ。
喪う覚悟なんて出来るわけがない。
ジェオの胸元はイーグルが吐いた血で真っ赤に染まっていた。血の気の引いた青白い顔も、苦しそうな呼吸も、脳裏に残るイーグルの何もかもが死を示唆していても―――それでも。
「なぁ、セフィーロは意志の世界なんだろ? なら何か、何かまだ方法があるだろ? 魔法でも何でもいい、必要なら俺の血でも肉でも、命でも全部使っていい。イーグルが助かるなら俺はどうなってもいい、何だってする。だから頼む、イーグルを、イーグルだけは―――」
「ジェオ、落ち着け」
声も、手も、身体も、全身を震わせて「たのむ」と濡れた声で繰り返す友人の肩に手を添えて、ランティスは静かに口を開いた。
「導師クレフに話は通してある。セフィーロに着いたら、イーグルは城で預かる」
「・・・え?」
出会った時から変わらない、言葉が足りないのが常である友人の言に、ジェオは自分が泣いていることも忘れて思わず顔を上げる。緊迫した状況に似合わない、呆けたようなその表情に、いつも無口で無表情な男の顔にも思わず微かな笑みが浮かんだ。
***
亜空間を抜け、セフィーロ城の目の前に現れたNSXから一つの影が吐き出される。輸送用の小型艇。真っ直ぐに城へと向かったそれが入口に着けられると、また幾つかの影が降り立った。
その先頭で立ち止まったランティスは、〝心〟でこの城の主に呼び掛ける。
『導師』
『そこで待て』
すぐに答えが返ってきて、同時にランティスとジェオ、移動式の医療機器に繋がれたイーグルを乗せたストレッチャーを、眩い光が包み込む。
何だ、と思わず目を瞑ったジェオが問う間もなく、次の瞬間には周りの景色が変わっていた。
そこはドームのような円形の白い部屋だった。中央には大きめの寝台が据えられている。城の中なのだろうが、それでドーム型の部屋とはどういう構造設計になっているのだろう。光が収まっていく中、そんなことを考えながら辺りを見回したジェオは、彼等をこの場所に移動させたのであろう人物が目の前に立っていることに漸く気付いた。
「・・・導師クレフ?」
「久しいな、ジェオ。だが積もる話も説明も後にしよう。イーグルをそこへ」
そう言って寝台を指し示したクレフに、ジェオはハッとしてイーグルを振り返る。ストレッチャーと機器を移動させ、イーグルの身体をそっと抱き上げると寝台へ移した。
「この機器は繋いだままでも?」
「構わぬ。助けになる物は多いに越したことはない」
言いながら目を閉じると、クレフは何かを探るように、イーグルの胸の辺りに軽く手をかざす。
「・・・深いな。よくここまでもったものだ」
「・・・助かり、ますか」
縋るような声が零れる。ジェオはその場に膝をつき、それでもなお自分より目線の低いクレフに、平伏するように頭を下げた。
「ジェオ」
「助けてください。お願いします。イーグルが生きていられるなら、俺の命でも何でも、全部使ってくれていい。こんなことを頼める立場でないことは重々承知しています。貴国に攻め入ったことの賠償は必ず、罰が必要なら全て俺が引き受けます。だからどうか、どうかイーグルを―――」
「落ち着け。そんなことはイーグルも望まぬだろう」
ジェオの背中に手を置き、顔を上げるよう促すと、クレフはイーグルの方へ向き直り、口の中で何事かを小さく呟いた。
かざした杖の先端を飾る宝玉が淡く輝き始める。柔らかな緑の光がイーグルを包むように広がり、やがて吸い込まれるように収束した。
「今のは・・・?」
「ヒカルが、このセフィーロに残していった〝力〟だ」
よく見ると、まるでイーグルを守るかのように、淡い光の粒子が彼の全身を包んでいる。
「ヒカルが?」
「ヒカルが柱となったあの時、セフィーロの再生と共にもう一つ願ったことがある。〝イーグルの病を治したい〟と。だがあの戦いの後、お前達がチキュウへと戻ってしまった為に、セフィーロに満ちたその願いは受け取る者を失っていた」
「その〝願い〟がこの光・・・ですか?」
ジェオの問いに、クレフが頷く。
「お前やランティス、バイストン・ウェルの者達は全てが終わればこちらへ戻ってくることは解っていたからな。その時、まだイーグルが生きていればこの〝力〟が必要になるだろうと、術式を編んでおいたのだ。色々と分の悪い賭けではあったが・・・間に合ってよかった」
そう言って笑うセフィーロ最高位の導師を、ジェオはまだ信じられないといった顔で見つめる。
「・・・何故・・・いや、助けて欲しいと押しかけたのはこちらですが、でも、イーグルも俺も」
侵略者なのに?
呟くジェオに、クレフはただ優しく笑った。
「なに、ヒカルのたっての願いだ。二度もこの国を救ってくれた少女の願いのひとつくらい、叶えてやらねば顔向け出来ぬだろう。・・・可愛い弟子の頼みでもあったことだしな」
「導師、」
悪戯っぽく笑いながら言うクレフに、二人の傍らで傍聴に徹していたランティスが慌てたように口を挟んだ。
「弟子?」
聞きながら、ジェオは思わずランティスを振り仰ぐ。そういえば医務室で〝導師に話は通してある〟と言っていたが、そういうことなのだろうか?
珍しく慌てる様などを見せる弟子の姿にますますおかしくなったクレフは、楽しそうに言葉を続けた。
「ランティスが真剣な顔で〝一生の頼みがある〟などと言い出すのでな。どんな無理難題を言われるのかと、思わず身構えたぞ」
くつくつと笑う導師に、ランティスは居心地が悪そうに視線を逸らすばかりだった。滅多に表情筋を動かさない男の初めて見る表情に、ジェオは思わずぽかんとしてしまう。
「無口な弟子に出来た初めての友だ。それを救いたいと懇願されて、断れる師がいるものか」
そう言ってランティスを見遣るクレフの顔には、これ以上ないほど父性溢れる笑みが乗っていた。
***
それからイーグルは二週間、こんこんと眠り続けた。
「急激な回復は望めないが、病がこれ以上進むこともない。ゆっくりだが確実に回復していく。大丈夫だ」
そう告げたクレフの言葉通り、意識こそ戻らないものの、イーグルは日に日に回復の兆しを見せた。
点滴以外はもう必要ないだろうとのクレフの見解に、機器を外す為に呼ばれた軍医がイーグルのバイタルデータを見て「次に呼ばれる時は死亡宣告の為だろうと思っていたのに」などと思わず零した程だ。
傍目には穏やかに眠っているかのようなイーグルの様子に、同行してきたザズが「よかった」と泣き崩れたので、つられてジェオもまた少し泣いてしまった。
そこから更に五日ほどが過ぎた明け方、漸くイーグルは目を覚ました。
覚束ない視線だけがゆるゆると天井を彷徨う。イーグル、と傍らについていたジェオが恐る恐る名を呼ぶと、まだ完全には開ききらない瞼から覗く琥珀の瞳が、緩慢に声の方へと向けられた。
視線が絡む。少し乾いた唇から微かに漏れる吐息。それが自分の名を呼んだものだと、ジェオは直感的に解った。
「イーグル。俺が、わかるか?」
目の奥からこみ上げてくる熱を必死に堪えるが、声が震えてしまうのは止められなかった。ジェオの言葉に応えるように、イーグルがごく微かに笑みを浮かべる。
「・・・っ!」
その表情に、堪えていたものが一気に決壊した。
イーグルの手を自分の額に押し付けるようにして両手で握ったまま、堰を切ったように溢れ出す涙が二人の手を伝い落ち、シーツに染みを作っていく。押し殺した嗚咽に呼吸が引き攣って苦しい。
まるでそれしか言葉を知らない幼子のように、イーグル、と嗚咽の隙間に繰り返すジェオを、イーグルはまだ上手く働かない頭でぼんやりと見詰めていた。
・・・泣いている
ジェオが
どうして?
「・・・・・・、」
泣かないでください
僕は大丈夫です
そう声を掛けたかったが、身体のどこもかしこもイーグルの言うことを聞いてはくれない。
錆びついて軋んだロボットのようなぎこちなさで、それでも痛いくらい握り締められた手を僅かに握り返すことにどうにか成功すると、ジェオが弾かれたように顔を上げる。その拍子にまた大粒の涙が零れた。
「イーグル・・・!もう、大丈夫だからな・・・!もう、お前、病気もっ・・・ちゃんと、治るって・・・!ランティスが、導師に・・・ヒカル、も・・・・・・っ!」
ジェオはもう何もかもがぐちゃぐちゃで、嗚咽混じりの言葉は半分くらい何を言っているのか解らなかったけれど、いま彼が泣いているのが絶望によるものでないことだけはイーグルにも解った。
よく知った温もりから伝わってくるのは、喜びと安堵。
それなら、いい。
聞きたいことも話したいことも沢山あったが、まだあらゆることに身体が追いついていないのだろう。微睡み始めた意識にイーグルの目蓋が下がっていく。
「イーグル!」
思わずといった風にジェオが身を乗り出したので、イーグルは「大丈夫」だと告げる代わりに、もう一度可能な限りの力を指先に込めながら、精一杯微笑んでみせた。いつものように表情筋が動いてくれているかどうか、自信はなかったけれど。
「・・・ああ、解った」
安堵に満ちた優しい声が降ってくる。きっと伝わったのだろう。
頭を撫でる大きな手の温かさを遠く感じながら、イーグルは沈んでいく意識に身を委ねた。