ルンバ、襲来。

何処かで蝉が鳴いている。
17時を回ろうかという時間になっても真夏の空はまだ水色にしがみついていて、湿度の高い外気が肌を包んでいた。たまに吹く風も生温い。
「暑いな、くそ」
誰にともなく悪態をつきながら、ジェオはいつもの下校コースを一人歩いていた。

不意にポケットの中でスマホが震える。
取り出して見ると画面には”着信中”の文字が発信者の名前と共に点滅していた。イーグルだ。
(珍しいな)
普段から大抵の用事はLINEで済むので、お互い滅多に電話をかけるということがない。
余程急ぎの用事だろうかと、受話マークへ指を滑らせると、ジェオが口を開くよりも先に、これまた珍しい、情けないような声がスピーカーから響いてきた。
『ジェオ、助けてください』
「どうした?」
基本的にイーグルは優秀だ。ジェオはいつも何かと彼の世話を焼いているが、その気になれば大概のことは人並以上にこなせることを知っている。
そんなイーグルが、助けてくれと電話してくるような事態にはーーー声の様子からして、命の危険があるというような状況ではなさそうだがーーー想像がつかなかった。
しかし。

『ルンバに追われてるんです』
「・・・は??」
一瞬の内に様々な可能性を脳裏に巡らせていたジェオの耳に届いたのは、そんな間の抜けた言葉だった。


「・・・何をやってるんだ、お前は?」
請われるままにイーグルの自宅へとやってきたジェオは開口一番、目の前の光景に呆れた表情でそう言った。
避難でもするかのようにソファーの上で膝を抱えるイーグルの周りを・・・正確にはそのソファーの周りを、黒い円盤が悠々と周回している。
「スイッチを入れたら、どうしてか僕のあとをずっとついてきて。ソファーに避難したら今度はずっとソファーのまわりを周ってるんです」

好奇心旺盛な猫か何かか?
言いかけた言葉を飲み込んで、ジェオはソファーへ歩み寄り、ウィンウィンと音を立てて床を徘徊しているロボット掃除機を持ち上げると、恐らく電源と思われるボタンを押して強制停止させた。
「ほら、これでいいだろ。こいつは何処に戻すんだ?」
「あそこの充電台に。流石ジェオです、助かりました」
イーグルは部屋の隅を指しながら、心底ほっとしたような笑みを浮かべる。
「流石ってお前な」
示された場所にルンバを戻すと、ジェオはまだソファーに乗り上げたままのイーグルの隣に腰を下ろした。ぽふん、とジェオの肩に身を預けてきたイーグルの、柔らかな色合いの髪が微かに揺れる。
ジェオはそのふわふわとした頭を撫でてやりながら、くく、と笑った。
「そんなに怖かったのか?」
「だって本当にずっとあとをついて来るんですよ。普通は障害物を避けるものなのに」
「懐かれてるな。美人は機械にもモテるのか」
「もう、からかわないでください。ジェオが来てくれなかったら、電池切れまでソファーの上にいるところでした」
「いや電源切れよ。アプリで操作出来るんだろ、あれ」
「・・・あ。」

そうでした、と気恥ずかしそうに笑うイーグルに呆れながら、しかしそんな、時折(信じられないほど)抜けてるところも可愛いんだよな、などと考えて、ジェオは自分の思考に思わず頭を振った。

(何を考えているんだ俺は。しかも”も”ってなんだ、”も”って)

突然挙動不審になった友人にきょとんと首を傾げながら、イーグルは思いついたように「あ」と小さく声を上げる。
「お礼にアイス食べませんか。ハーゲンダッツがあるんです」
そう言うと、ジェオの返事も聞かずにパタパタとキッチンへ向かう。
「抹茶とバニラ、どっちがいいですか?」
少しお高いカップアイス二つとスプーンを手に、にこにこと尋ねてくるイーグルを「やっぱり可愛いな・・・」と思いかけた自分を振り払い、ジェオは胸の内に燻り始めた知らない熱を冷まそうと、受け取った抹茶アイスをひとくち、口に運ぶ。

甘くほろ苦いそれは、胸に宿った何かに似ている気がした。