希望へ向かう詩譚曲

その”青”は、祝福であると同時に呪いでもあったのかもしれない。

 そんなことを思いながら、ジェオは荒れた岩肌を歩いた。セフィーロを覆っていた分厚く暗い雲は嘘のように消え去り、鮮やかな青色が広がっている。大地はまだ崩壊の名残が色濃く残っていたが、それも直に薄れ、かつての美しい姿を取り戻すのだろう。そこにあった痛みも哀しみも苗床にして。

 ***

 オートザムは灰色に覆われた国だ。
 晴れることのない分厚い雲が一年中空を支配し、太陽はその向こう側にぼんやりと浮かんでいるだけで、直接その姿を目にすることはない。まるで古の最高権力者のように。
 だから空が本当は青いことを、殆どのオートザムの民は知識としてしか知らない。「昔は青かったらしい」と、半ばお伽噺のような感覚で幼子に聞かせる程度の。

 そんな灰色の国にあって、軍の監視塔は唯一「本当の空」を観測できる場所であった。
 いや、空の観測は本来の存在意義ではないのだが、とにかくそこでは近隣の国々の表層をモニターすることができ、必然的に空も観測対象に含まれる。
 イーグルが初めて監視塔に足を踏み入れたのは幼い頃、その時はまだ一介の議員であった彼の父親に連れられてのことだった。
 軍の視察という仕事に何故幼いイーグルが連れて行かれたのか、その理由まではジェオは聞いていない。ただ、その時初めて見たセフィーロの空・・・スクリーン越しでも少しの褪せもない、それまでに見たどんなものより美しく鮮烈な青色は、当時五つにも満たなかったイーグルの心に強く灼きついたのだと。
 これが本当の空の色なのか、オートザムもこんな色にできるのか。上気した頬にキラキラと瞳を輝かせて興奮気味に問うてくる子供に、その場にいた大人達は大層困ったらしい・・・と、当の子供であったイーグルは笑いながら当時を振り返っていた。

 ***

 ざり、とブーツの底で砂利が鳴る。踏みしめたそこは黒く焦げ付いていた。少し先の所では薄く黒煙が立ち昇っている。
 ジェオは足を止めて頭上を仰いだ。目に痛いほどの青空は、かつての子供が文字通り命懸けで焦がれたもの。
 この色を見たかったのは、見るべきだったのは彼であった筈なのに。

 ───この青さえ知らなければ、あんなにも苛烈に生き果てることもなかったのではないか。

 そんな思いが湧き上がっては、ジェオの胸を灼いて重く塞いでゆく。息が詰まるような感覚に、ならばいっそ窒息してしまえればいいのにと、喪われた金色を想った。
 想って、けれどだからこそ、何もかもを放り出して後を追うことは赦されないのだと、ジェオは俯きそうになる顔を前に向ける。
「何があろうがついていく」と彼に言ったのは真実その通りの意味で、それは自分より彼が先に逝くことなど、それこそ「昔は空は青かったらしい」という程度の、実感のない可能性としか捉えていなかったことの証左で、ある種のエゴであったのだと今更ながらに思い知る。
 死ぬなら自分が先だと当たり前に思っていた。
 だって歳の順に死んでゆくのが正しい世界の在り方だろう、とほんの少しの自己正当化をして。

 棚引く煙が上へ上へと薄れ、消えてゆく。それを追うようにもう一度視線を空へと移して、ジェオは目を閉じる。

 この青は呪いだったのかもしれない───それでも。

 イーグルが遺したもの、託された願い。
 それを、呪いになどさせない。
 そう強く思って、目を開けて空を睨んだ。まだ彼の副官であろうとするなら、それを矜持に望むのならば。

「随分先まで一足飛びに行かれちまったが、追いかけるさ。地道にな」

 その背中がもう見えなくても、見えている。
 細く、途切れそうに細い蜘蛛の糸でも、確かに金色の光が繋がっている。進むべき道を示している。

 辿り着くべき祝福は、そこに。