スパロボT49話の出撃選択直前〜バトル開始前までの捏造妄想。
「行きましょう、ヒカル。ランティスを・・・───」
不意に、イーグルが言葉を途切らせる。
「イーグル?」
どうしたのかと光が問うよりも早く、堪えきれないというようにイーグルが口を手で押さえると、同時にごほっ、と重い咳がこぼれた。
そのままがくんと崩れ落ちるように膝をつき、苦しそうに咳き込み始めたイーグルに、驚いた光が慌てて駆け寄る。
「イーグル!どうしたの、イーグル!」
背中をさすりながら声を掛けるが、息も継げないほど咳き込んでいるイーグルに返事をする余裕はなかった。
胸の奥から這い上がってくる不快感に、駄目だ、と思っても身体は反射的にそれを外へ逃がそうとする。
激しい咳に上下していた背中が一瞬硬直すると、ごぼっ、と水気を帯びた咳と共に、口を押さえた指の隙間から赤いものが零れ落ちた。
「───イーグル・・・っ!」
床に出来た小さな血溜まり。
目に映るその赤の意味を理解して、光が泣きそうな声でイーグルを呼ぶ。
周りにいた海と風も小さく声を上げ、クレフも思わず息を呑んだ。
ごほ、けほっ・・・
イーグルは余韻のような咳を無理矢理押さえ込み、手の甲で口元を拭うと、己の傍らで声音に違わず泣きそうな顔をしている少女に何とか笑いかける。
「・・・大丈夫、です、から・・・そんな顔、しないで・・・」
こほっ、と堪えきれなかった咳が漏れて、イーグルは反射的に顔を背ける。
「イーグル、」
力なく咳き込む背を、小さな、しかし温かい手が再びさすってくれるのを感じて、イーグルは誰にでもなく微かに笑みを浮かべると、呼吸を整えようと目を閉じる。
ジェオにすら隠してきたのだから当然だが、発作を起こした時にこうして誰かに背中をさすられるのは初めてだった。
その小さな温もりに、胸の痛みも息苦しさも、不思議と和らいでいくような気がした。
「・・・ありがとう、ヒカル。もう、大丈夫です」
幾分ましになった呼吸に、顔を上げて少女に微笑んでみせる。突然目の前で血を吐かれて、大丈夫だと言われても説得力はないだろうが。
身を起こそうとすると、光が心配そうに肩を支えてくれた。
「イーグル・・・病気、なのか・・・?どうして・・・っ」
途切れた言葉の代わりに、俯いた光の瞳から涙が溢れ、ぱたぱたと床に落ちていく。
「・・・ヒカル」
本来敵である自分の為に、彼女がそんな風に悲しむ必要などないというのに。
「・・・泣かないで」
困ったように笑い、血で汚れていない方の手でそっと涙を拭ってやると、光はハッとしたように顔を上げ、両手で包み込むようにイーグルの手を取った。
その手がやけに温かくて、そういえば子供は体温が高いのだったか、などと頭の隅で失礼なことを考えるが、すぐに自分の手が冷えているのだと気付いて小さく苦笑した。
これでは余計に不安を煽ってしまったかもしれない。
「・・・イーグル」
二人のやりとりを見守っていたクレフの声に、呼ばれたイーグルが視線を向ける。
難しい顔で続く言葉を探している様子の見目幼い導師に、イーグルは申し訳なさそうに笑うと、先に口を開いた。
「申し訳ありません、導師クレフ。こんなところをお見せしてしまって」
そう言って立ち上がろうとした彼を、光が小さく名を呼んで止めようとする。
心配を隠そうともしない、不安を湛えた瞳で見上げてくる少女に、イーグルは「大丈夫ですよ」と笑って立ち上がると、逆に彼女に手を差し出した。
光を立たせてやりながら、さて、とイーグルは思考を巡らせる。
彼等の前で発作を起こしてしまった以上、やはり説明しなければならないだろうか。
導師クレフはともかく(というか、言わなくても恐らく彼はもう解っているだろう)、魔法騎士の少女達にはあまり聞かせたくない話なのだが。特に光には。
どう言葉を選んでも、この身体がもう長くはもたないという事実は変わらない。
寧ろ医者の見立てからすれば、今こうして生きていられるのが不思議なくらいだ。
敵とはいえ一時的に、しかもそこそこの時間を共有してしまった相手が実は明日をも知れない命だったなど、この少女達にはいささか残酷な話だろう。
かと言って、死ぬような病ではないから大丈夫だと、その場凌ぎの嘘を吐くのは憚られた。
(困りましたね・・・)
イーグルが僅かな逡巡の後にそう内心でひとりごちたところで、背後の扉がギ、と重い音を立てる。
全員の視線が集中した先、開かれた扉の向こうにいたのは、偵察から戻ってきたジェオだった。
「失礼、ただいま戻りました・・・って、・・・何かあったのか?」
何とも言えない場の空気を感じ取ったのか、全員の視線を受けたジェオが困惑気味にイーグルを見る。
光が何かを言おうとしたが、イーグルはそれを制して先に答えた。
「ええ、少し。つい先程、ランティスがあのノヴァという少女に攫われました」
「はぁ?!」
簡潔な説明に、少しじゃねえだろと思わず叫んだジェオの声が広間に響く。
「この城に敵が迫っているなら、恐らくノヴァも現れる筈です。ランティスが何処に捕らわれているかはともかく、わざわざ攫っていった以上、すぐに殺されるということはないと思いますが・・・」
「・・・まぁ、そうだな。敵を退けながら、そのノヴァって奴にランティスの居場所を聞き出して救出する・・・あとは時間の勝負か」
ジェオの言葉に頷いて、イーグルはクレフの方へと向き直る。
「導師クレフ、僕達もNSXに戻ります。敵の迎撃と、ランティスの救出。敵の目的が解らない以上、後者は急がなければ」
「あぁ・・・だが、」
「イーグル・・・っ」
お前も戦うつもりなのか、と視線で問うてくるクレフと、思わずといったようにイーグルの腕を引いた光に、彼はただ笑ってみせる。
そのまま踵を返すと、ジェオを伴い広間を出て行ってしまった。
***
城の出入り口へと続く長い廊下を足速に進みながら、ジェオとイーグルはお互いに持っている情報を改めて確認する。
「─── T3の他のメンバーは先に戻っていましたから、既に戦闘準備は出来ている筈です」
「ああ、さっき来る途中に確認した。各艦とも城の前に展開してる。後は俺らと、魔法騎士のお嬢ちゃん達だけだ」
喋りながら、イーグルは段々と息が上がっていくのを感じて、マントの下で俄かに胸を押さえた。
吐く息に血の匂いが混じる。
ここでまた発作を起こすわけにはいかない。この病をジェオが知ったら、もうFTOになど乗せて貰えないだろう。
どのみちもう時間がないのだ。自分の身体は自分が一番よく解っている。
これが最後かもしれないなら、せめてランティスを救い出すところまでは。
皮肉にも、そんなことを思った瞬間。
胸を貫いた痛みに息が詰まった。
「───っ・・・!」
思わず足が止まる。
溢れそうになる咳を、爪が食い込むほど胸を強く掴んで抑えようとするが、そもそも生理的な反射を意識で止めるのは難しい。
「イーグル?」
突然立ち止まってしまったイーグルの膝が崩れるのと、気付いたジェオが振り返るのは同時だった。
「っ、ごほっ、げほげほっ・・・!」
「おい、イーグル?!」
何事かと駆け寄ったジェオが、肩を支えて背中をさすってくれる。
「イーグル!大丈夫か、イーグル!」
聞いた事がないほど焦ったジェオの声に、大丈夫だと答えようとするが、口から零れるのは咳ばかりで。
駄目だ、止めなければ。
そう頭では思うのに、身体は意識に従ってはくれない。
胸を、喉を、灼けつくような痛みと熱が咳と共に駆け上がってきて、堪えきれずにごぼりと吐き出した。
先程より量が多い。
掌では受け止めきれず、ぼたぼたと音を立てて床を汚していく鮮血に、ジェオが横で息を呑んだのが解った。
「・・・イーグル」
驚きか、怒りか、悲しみか。
まだ咳き込んでいるイーグルの、背中をさする大きな手が震えている。
「イーグル、薬は」
あるのか、と問う声もまた微かに震えていた。
「・・・ポケ、ット、に・・・」
咳の合間にどうにかそれだけ答えると、ジェオの手がポケットを探り、小さなケースを取り出した。
そうして自分に凭れさせるようにイーグルの身体を抱き寄せ、口を押さえている手の前に白い錠剤を宛てがう。
「飲めるか?」
頷きたいが、なかなか途切れてくれない咳に、口元の手を外すことすら出来ない。
「・・・すまん、少し我慢してくれ」
自力で飲むのは無理そうだと判断して、ジェオは薬を口に含むと、イーグルの手を強引に外して口付ける。
そのまま舌で彼の口腔内へと薬を捩じ込んだ。
「・・・っ」
反射的に咳で吐き出しそうになるのを堪えて、何とか薬を飲み込んだイーグルの喉が嚥下に小さく動いたのを確認して、ジェオが口を離す。
「・・・大丈夫だ」
何が、なんてジェオにも解らなかったけれど、そう言わなければ全てが崩れ去ってしまうような気がして、祈るように小さく呟いた。
薬が効いたのか、ほどなくして咳は治まった。ぐったりと自分に身を預け、呼吸を整えているイーグルの背中をさすりながら、その身体が随分骨っぽくなってしまっていることに、叫び出したい気分になる。
誰よりも近くにいたのに、どうして気付けなかったのか。
医療分野に関しては素人だが、イーグルを蝕む病が何であるかはジェオにも解った。
オートザムでも数少ない、治療法が見つかっていない死の病。
最後には咳き込むことも出来なくなって、己の血に溺れて窒息するのだという。
「・・・ジェオ・・・」
少し掠れた声に呼ばれて、ジェオの思考が引き戻される。
視線を落とすと、僅かに滲んだ黄金色の瞳とかち合った。流石に顔色はまだ悪かったが、呼吸は落ち着いたらしい。ジェオは思わずほっと息を吐いた。
「落ち着いたか?このまま運んでやるから、戻ったら休め。後でちゃんと聞かせてもらうからな」
そう言って抱き上げようとするジェオの胸をやんわりと押し返して、イーグルは首を横に振った。
「・・・いえ、僕も出ます」
「馬鹿野郎」
激情を押し殺したような声ですかさず切り捨てられ、イーグルが少し笑う。
本当は今すぐにでも、どういうことなんだと問い詰めたいだろうに、自分達が置かれた状況と彼の優しさとが、それを押し留めている。
きっとここまで隠してきたことに怒りながら、同じくらい自分のことを責めているのだろう。”何故気付けなかったのか”と。
ジェオには何の咎もないのに。
「そんな状態で戦闘になんか出せるわけねぇだろ」
「医務室で寝ていたからといって、どうなるものでもありませんよ」
「・・・っ!」
傷付けると解っていて、イーグルは敢えてそう口にした。
悲痛な色を浮かべるジェオの表情に胸が痛んだけれど、こればかりは譲れない。
今更ほんの少し生き長らえる為に、ベッドの上でただ死を待つようなことはしたくなかった。そんな風には死にたくなかった。
同じ未来を見る事が叶わないなら、せめていつか、貴方が祖国の青い空を見られるように。
貴方に、オートザムに、希望を遺せるように。
残された命を、意味のあるものにしたかった。
「・・・お願いします、ジェオ。ただ呼吸を繋ぐだけの時間を延ばしたいなら、発病が判った時に最初からそれを選んでいた。でも僕は、最後まで”生きて”いたいんです」
「・・・イーグル」
真っ直ぐな視線に、ジェオの瞳が揺れる。
イーグルの言いたいことは解る。もしもジェオが同じ立場なら、きっと同じ選択をしていただろう。
例え悲しませることになっても、最期まで彼の副官であろうとするだろう。
それがジェオの矜持であり、自らそうと定めた在り方だから。
自分のことならそう納得できる。
けれど。
それでも生きていて欲しいと、心の奥で叫ぶ自分がいる。
だって、こんな終わりは想像していなかった。
『オートザムに、青い空を』
そんな途方もない、夢物語のように思える願いでも、イーグルならば掴めるのではないかと思っていた。
どれだけ時間がかかろうとも、その黄金の瞳が前を見据えている限り、いつか。
希望、未来、可能性。
それらにもし形があったなら、きっと彼のようであっただろうと。
そう思っていたのに。
こんな風に、奪われるなんて。
「・・・ジェオ」
答えの出せない葛藤に言葉を継げないでいるジェオに、イーグルがいつものように笑った。
「僕は別に、進んで死のうというわけじゃないですよ。生きて、貴方のところへ帰るつもりで戦います。最後まで、それを諦めたりはしませんから」
だから、信じてください。
そう言って、彼はまた笑う。この笑顔に今までどれだけ騙されたか知れないというのに。
けれど、そう言って笑うこの男に、ジェオが勝てた試しはないのだ。
「・・・本当だな」
やっと絞り出した声は、微かに震えていて。
「はい」
返ってくる声は、いつもと同じ、柔らかい音で。
「僕が帰る場所は、ジェオが守ってくれるんでしょう?」
覗き込むように見上げてくる瞳に、堪らず腕を引いて抱きしめる。
この手を離したら、二度と戻らないかもしれない瀬戸際で、それでもイーグルがそう言って笑うのなら。
「・・・俺の努力を、無駄にしてくれるなよ」
言うと、ふふ、と腕の中で小さく笑う気配がする。
「努力します」
「このやろう」
ひときわ強く抱きしめると、イーグルは「苦しいですよ」と言ってまた笑った。