オートザム、深夜。
一年中暗く分厚い雲に覆われたこの国の夜には、月もなければ星もない。閉塞感すら感じる深く濃い闇の中、空洞化した惑星の内部に抱かれた金平糖のような水晶体ーーー国民の居住区であるドームが仄かに光を放ち、僅かに残る地表に置かれた軍の施設の明かりが、ポツポツとその存在を主張するのみだった。
そんなオートザムも、今夜は少しばかり様子が違う。
地表の軍基地内に建つ官舎の一室。一人で眠るには少し大きく、二人で眠るには若干狭い備え付けのベッドの上で、イーグルとジェオは裸のまま毛布に包まり、くすくすと控えめな笑い声を時折零しながらじゃれ合っていた。
「そろそろですね」
ちら、とヘッドボードの時計を見遣ったイーグルが、秘め事のように潜めた声で囁く。
と同時に、ドォン、と重い音が遠く響いたと思うと、俄に空が明るくなった。微かに歓声のような声も聞こえる。
「お、明けたな」
今度はジェオが囁く。
「今年も、よろしくお願いします」
「こちらこそ」
笑い合って、どちらからともなく唇を重ねた。外ではまたドォン、ドォンと音が上がっている。ニューイヤーの花火だ。ホログラムの、だが。
居住区の広場は今頃、新年を祝う人々で賑わっていることだろう。
セフィーロの協力を得られたとはいえ、未だ滅びに瀕していると言えるこの国で、それでもこうして新年を喜び祝う人々がいることは、彼等がまだ希望を捨てていない証左のように思えて、それがイーグルには嬉しかった。
「不思議ですね。まだ目に見えて再生の兆しがあるわけではないのに、今までで一番明るい年明けのような気がします」
「そりゃセフィーロの協力を得られた上にお前もいるんだ。オートザム史上最も希望ある年明けだろうぜ、今日は」
言いながら、逞しく温かい腕がイーグルを抱き締める。引き寄せられるまま厚い胸に身を預けたイーグルは、ふふ、と笑った。
「それも不思議な気分です。ついこの間まで、僕には文字通り明日さえ見えていなかったのに」
静かな声には何の翳りもなく、ただ噛み締めるような響きでジェオの耳に届いた。抱き締める腕に無意識に力が篭もる。
イーグルの身体を冒していた、オートザムでは治療法のない死の病。
セフィーロに着くまでもたないだろうと言われていた、とジェオが知ったのは、一連の戦いが終わり、そのセフィーロでイーグルが療養に入って少ししてからのことだった。
奇跡としか言いようのない、様々な幸運が重なった結果の快癒。
二度と帰ることはないと覚悟して発ったこの地、無い筈だった未来に、イーグルはいま立っている。
温かく愛しい腕の中で「今年もよろしく」と、新しい一年を想うことが出来ている。
「俺は二度とあんな思いはごめんだからな。今更お前に無茶をするなとは言わないが、無理はしてくれるな。俺に退役まで副官を全うさせてくれ」
「・・・っふ、」
真摯な声と言葉に、けれどイーグルは思わず笑ってしまった。おい、と不服そうに少し身体を離したジェオに、いえ、と涼やかな声が答える。
「すみません。・・・今こうしているだけでも夢みたいな話なのに、退役なんて何十年も先の約束に頷けるなんて」
本当に、夢みたいで。
「生きててよかったなぁって、噛み締めてしまいました」
「・・・・・・」
くすくすと笑いながら、しなやかな両腕がジェオの背中に回される。ジェオは何も言えなかった。口を開いたら嗚咽が漏れそうだったからだ。
「・・・ねぇ、ジェオ」
「・・・・・・」
返事はない。代わりに自分を抱き締める腕の力が強くなった。イーグルが微笑む。
「どうせなら、退役よりもう少し先まで、約束しませんか」
「・・・・・・っ!」
予想外の言葉に、思わずジェオはバッと身体を離してイーグルを見た。その赤くなった目と頬に笑みを深めて、琥珀の双眸が柔らかな光を湛える。
「ジェオの命は、僕にくれるんでしょう?だから」
「ーーーイ、」
「退役したら、僕の命はジェオにあげます」
ーーー初めて、その言葉を口にした時。
何があってもついていく、俺の命はお前のもんだ、とジェオが初めて告げた時。
彼は一瞬驚いた顔をして、それから考えるように少し目を伏せると、僕は、と僅かに掠れた声で答えたのをよく覚えている。
『僕は、ジェオに同じものを返すことが出来ません』
珍しく俯き、苦しそうにそう絞り出した。
イーグルにとって、何より優先されるものはオートザムだ。
イーグルの命はイーグル一人のものではなく、彼はビジョン家の人間であり、大統領子息であり、軍人であり、オートザム最強のファイターで、コマンダーでもある。
だから、どんなに大切に想っていても、ジェオを一番には選べない。
ジェオはイーグルを選べるけれど、イーグルは己に課せられたもの、自分の願いを差し置いてまでジェオを選ぶことは出来ないのだと。
正直にそう告げることが、その時のイーグルにとって精一杯の誠意だった。
すみません、と痛みを堪えるような声で呟くイーグルに、だからジェオは「なんだ、そんなこと」と笑ってみせた。
『お前が俺を一番に選べなくても、俺がお前を一番に選ぶことを許してくれるなら、それでいい』
許してくれるか、と重ねて問うたジェオの胸に頭を預けて、はい、と答えた声と肩が震えていたのを、ジェオは一生忘れないだろうと思った。
そして、今。
「・・・は」
言われた言葉に、思わず間の抜けた声が零れ落ちる。
「貰って、くれませんか?」
あの時と同じ、けれど許しを乞う立場は逆転している。
一生自分のものにならなくてもいいと思っていた。ただ傍でこの人を支えられるなら、その金色の双眸が見据える未来を、隣で共に見つめていられるなら。
彼が最後に選ぶのが自分ではないとしても、イーグルはイーグルに出来る精一杯で、ジェオのことを愛してくれている。それで充分だと、心の底から思っていた。それは紛れもなくジェオの真実だ。
だが。
「欲しい」
考えるより先に口が動いた。
「貰う。聞いたぞ、いいんだな、もう取り消しはさせねぇぞ。お前は俺のもんだって、この先死ぬまで予約済みだって言いふらすからな」
両肩を掴んで迫るジェオに、流石のイーグルも少し気圧される。
「・・・もちろん、二言はありません。けど、言いふらすんですか?」
くすりと苦笑するイーグルに「おう」と大真面目に頷けば、彼は更に笑った。幸せそうに。
「それじゃあ、改めて、ジェオ。・・・末永く最後まで、よろしくお願いしますね」
●END●